るもの」、「歩み」、「足どり」、「秘密や手がかり」、「基礎」の七つである。これらの意味に関して、日中慣用句は対応している。
例えば「揚げ足を取る」、「足下に付け込む」、「足下を見る」、「足下を見られる」、と「拿后脚」、「拿痛脚」の慣用句の意味は人の短所を暴露し、弱みをつかむことを表している。「足が重い」と「脚底板有千金重」の慣用句の意味は、歩くことも足を上げることもできず、「足が重い」、「足掻きが取れない」と「走到泥坑里拔不出脚来」の慣用句の意味は是非に陥って外れない。「足がすくむ」と「打缩脚」の慣用句の意味は引っ込み思案である。「足固め」、「足元を固める」、「足場を築く」と「站稳脚跟」の慣用句の意味は一定の基礎を築いたり実力を備えたりすることである。「足が付く」、「足が出る」、「馬脚を現す」、「足を出す」と「露马脚」、「漏马脚」、「走了马脚」の慣用句の意味は似ている。隠された秘密をうっかり暴露して、馬脚を露出したのである。「足が早い」と「脚底儿抹油」、「一心忙似箭,两脚走如飞」、「脚后跟打后脑勺」の慣用句は意味が似ている。歩く速度が速いこと。一刻も休まず忙しい。「足の踏み場もない」と「无立足之地」の慣用句は意味が似ている。落ち着きのないところ、立つ瀬がないことである。「足場を失う」と「站不住脚」の慣用句は意味が似ている。足場を失って、立っていられないこと。「足場を固める」と「站住脚」、「立住脚」の慣用句は意味が似ていて、立ち止まって基礎を固めることを指す。「浮き足立つ」、「足も空」と「慌了手脚」、「慌手慌脚」、「毛了手脚」、「忙了手脚」の慣用句は意味が似ていて、物事が突発した時に人が慌てる様子を形容する。「足を踏み入れる」と「插一脚」の慣用句は意味は似ている。何かに関与したり、他人のことに干渉したりする。「足が地に付かない」、「足を空に」と「脚不沾地」の慣用句は意味は似ている。速く走ること、一刻も休まず忙しく動き回わること。
終わりに
本論文では認知言語学の視点から、日中両国の身体部位の慣用句に「足」を含む慣用句を分析し、以下の結論を得た。
中国と日本の「足」の慣用句の分析から、中国と日本は「足」について多くの派生的な意味を持っている。基本的な意味の「足」に関しては、派生的な意味は「全体」、「秘密」、「手がかり」および「基礎」に対応する慣用句がある。この点で、両国は普遍的に認識され、一部の言語は相互に通信可能であると言える。これら以外にも、対応関係がない慣用句が存在する。例えば、日本语では「足が強い」の意味は餅には強い粘りがある。中国語では「足」を含む慣用句にはそのような表現はない。そこで本稿では、認知言語学におけるメタファーとメタファーを用いて、中国と日本の「足」を含む慣用句が例文で表現する意味を分析し、慣用句が表現する深い意味を理解する。
「足」を含む慣用句は日常生活でよく使われている。例えば、中国語における「脚」を含む慣用句の中で、段差のある路面を歩くときは、「高一脚低一脚」、「深一脚浅一脚」で表現する。私たちが忙しいと表現する時には、「东踢一脚,西踢一脚」を使う。非常に忙しい時に、「忙得脚丫子朝天」で示す。日本語における「足」を含む慣用句の中で、足がだるくて歩きにくいと表現する時には、「足が重い」で示す。能力は誰かとはずいぶん違っているを表現する時には、「小指にも足りない」で示す。「足」を含む慣用句は多い。その中には多くの意味がある。日本語学習者として、理解しないと日本語の勉強にも不利である。例えば日本語における「足を洗う」。この慣用句の意味は悪いグループ卑しい仕事から脱して堅気になる。また、悪い行いを止めて真面目になる。この慣用句は中国語の「金盆洗手」の意味は似ている。この慣用句は単に足を洗うという意味ではない。「足がある」の慣用句の意味は交通手段が確保されている。この慣用句の中で「足」とは「交通」のことである。この慣用句は「足がある」という意味ではない。中国語における「高抬脚」。この慣用句の意味は地位が昇格した。単に足を持ち上げて持ち上げるという意味ではない。「足」を含む惯用语をよく理解すれば、中日文化交流や异文化の理解に役立つだけでなく、私たちの生活にもいいところがたくさんある。日常生活での交流はもっと便利である。
参考文献(略)