关键词:数字观;文化;差异
キーワード:数字観、文化、差別
謝辞
本論文の作成は倪秀梅先生からご多忙中にもかかわらず、貴重なご指導を承りまして、心から感謝の意をお表し致します。またこの論文が最初の段階から進行中ご熱心に励ましてくださった方々にもお礼を申し上げま
1.0はじめに
私は日本語専門の学生だから、四年間日本語を勉強する経験は私に日本文化を好ませてくる。特に、中日数字文化に対しては非常に興味をもつようになった。因みに、私たちが日頃から何気なく使っている「数」には、単に数量を表す言葉としてだけでなく、伝統に基づいた意味がこめられていることがよくある。日本も中国もそうである。たとえば、日本では、畳一帖の「一帖」は、かつての日本の成人男子が横臥して寝られる広さを基準に決められている。その畳を二つ合わせると「一坪」であるが、これも成人男子が生きていくのに必要な一日分の稲が取れる耕地の広さが、目安になっているといわれる。どちらも、その後の日本人の体格の変化や生産技術の向上などで、実情は大きく変わってしまう。亦、日本は言葉に霊魂が宿ると考える「言霊」の国で、その音や意味から、「二」や「四」を忌み嫌う傾向があるのはみんなに知られている。現代でもご祝儀袋には、「二」で割り切れる札数を入れるのが避けられているし、入院施設のある病院では、たとえ四階があるとしても、「四0一」など四のつく病室表示はしないものである。同じように、中国ではこういうような実例がある。古代中国文化の一分野としての天文学は昔が世界でも盛んであると思われる。そして、その天文学は北斗七星への崇拝を主にして、また二十八星宿「せいしゅく」という知識も含めている。実はともに古人が「七」を信仰する文化の一つの表現である。また、中国の古典名著「西遊記」には唐僧師徒四人が「九九八十一難」を経験して、最後は仏教真経を取りしまう。その「八十一難」は九を基数としての周期輪廻思想の反映であると思っている。同じようにもう一つの中国古典名著「水滸伝」には百八の将がある。それも九を基数をして天罡三十六星と地煞七十二星と分けているそうである。だから、ただ一つの数字にも広い世界も見えると言われている。
実は中国文化、日本文化の由来についてさまざまな観点があるが、本論文では中日数字文化の比較を通じて中日文化の差別を少し見てみようと思っている。
2004年、日本の「イトイ新聞」という生活ニュースウエブサイトは全国で「日本人が好きな数字」についてアンケットをした。その問題は主に「奇偶数に対しての好き嫌い及びその原因」や、「好きな数字」などである。その結果、奇数が好む人は52.8%で、最も好きな数字は「三」、「五」、「七」そうである。その結果から、日本人の耳には偶数より奇数が心地よいことが言えるであろう。
もう一つの例がある。中国と日本の結婚式のお祝金を調べると、中国では対になっている夫婦二人を白髪まで幸せに生活していることを祝するために、偶数での祝金を包むしきたりがあるが、日本では結婚する二人が割れないように、分けられない奇数を祝金として包むというしきたりである。
また、中国では年寄りの六十歳の誕生日を人生の大事な誕生として盛んにお祝いをするのは一般的である。しかし、日本では七十歳の誕生日は「人生七十古来稀なり」というような思想で非常に重視されている。
実は以上のような例が中日にはまだいっぱいあるが、では、中日数字文化はいったいどんな相違があるのだろうか。中国の学界では、中日数字文化についての研究が多い。
渭南師範大学の田小凮先生が2006年発表した『数字観から見る中日文化』には、中国人は偶数が好き、日本人は奇数が好きで偶数が嫌いだと書いた。また、中国人と日本人は数字に対して、共同なところもあり、それは同音原則、心理性原則と実用性原則であると分析した。
厦門大学の林捐捐さんは論文『中日数字文化の民族特性』で中国人が偶数が好きで、
日本人が奇数が好きであるが、中日ともに数字「八」がすきであること、それに、「八」が好きな理由は違うこと、また、中国人は「九」、「四」が好きで、日本人は「九」、「四」が嫌いであることについて論述した。
山東師範大学の盧永妮さんは『日本の数字文化』に主に「日本人が好きな数字」と「日本人が嫌いな数字」という二つの方面から日本の数字文化を述べた。それから、文化上と風俗上好きな数字についても論述した。
また、南通大学の姜掦さんが主に「三」、「五」、「七」を中心に『日本人の数字文化』という論文を書いた。
実はわれわれ中国人が数字に対しての感情はとても複雑で、簡単に偶数がすきではないと思っている。しかし、調べた限り、そういう内容を論述した論文があまりなかった。
その疑問を持って、本文は主に奇偶観から中日のそれぞれの数字文化を一緒に研究したいのである。
3.1日本人の数字観の由来
古代中国で儒家文化は最も盛んでいた。そこから、この儒家文化に陰陽思想という経典がある。この陰陽思想は中国人に広く使われている。簡単に言えば、陰陽思想は奇数が陽として縁起のいい数字で偶数が陰として縁起の悪い数字であると考えられる。4世紀ごろ陰陽思想が日本に伝えていった。一方、日本民族つまり大和民族はそれなりの平衡観と美意識を持っている。たとえば、中日の代表的な国画つまり水墨画と日本画を比べると、水墨画に余白部分は単調を避けるためにいつも詩や文などで補っている、しかし、日本画にいつも余白部分をそのままにしておく。これは日本自分的な奇偶観であろう。
長い間で陰陽思想と日本の伝統文化が融合していて、今の数字観を形成している。それでは、日本人が奇数に対しての印象はどうであろう。
3.2日本の「三」、「五」、「七」文化
3.2.1「三」について
日本では、「三」は聖数とされ、尊ばれてきた。「三人寄れば文殊の知恵」や「石の上にも三年」や「三度目の正直」など、「三」でつくった格言やことわざは非常に多く、この数に意味を見出していたことがうかがえる。また、「三種の神器」、「御三家」、「三大〇〇」というようにさまざまな物事をくくりで表現することも良く行われてきた。これも、「三」という数がもつ縁起のよさと安定性から来ているのであろう。
日本の結婚式で「三三九度」という儀式がある。夫婦になる男女が御神酒を飲み交わして契りを結ぶ大事な儀式だ。「三三九度」では大中小の三つの杯が使われる。小の杯に巫女がちょんちょんちょんと三度に分けて御神酒を注ぐ。それを新郎が三口で飲み干す。次に新婦も同じように三口で飲み干す。次に、中の杯は新婦、新郎の順で飲み干す。大の杯はまた新郎が先に飲み、次に新婦が飲み干す。このように、三つの杯から三度ずつ、合計九回にわたって御神酒を口にすることから「三三九度」といわれているのである①。元来、陰陽道では奇数は陽数といわれているのである。日本で縁起のいい数とされてきた。中でも「三」は天·地·人を表す、特にめでたい数である。めでたい数を三つ重ね、陽数の中でも最も大きい「九」にするということは、結婚式の晴れ舞台にふさわしい最上級のめでたさを表現していることになる。三三九度には、同じ杯に口をつける事で赤の他人から身内になるという意味もこめられている。そのため、三三九度は「夫婦固めの杯」、或いは「親族固めの杯」ともいわれている。と同じように「式三献」という儀式もある。「式三献」とは祝いの宴に咲きたって催された儀式で、まず一の杯に注がれた酒を主客より順に列席者が飲んでいく。これを一献とし、二の杯、三の杯を順番に回し飲んで三献となる。
また、皆知っている「三種の神器」とは皇位継承の徴として天皇に受け継がれる三種の宝物をさす。それは八尺鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣である。この三つの宝物は天孫降臨の際、地上に降りるニニギノミコトに天照大神が授けたものとされている。
以上のように「三」にまつわる諺がいっぱいある。たとえば、ことわざの「前菜に三種盛りが多いのはこの名残」や「内三役